大学を卒業していなければ、業務中座ることも許されないのか。③
※一部個人的な主観と、偏見と受け取られかねない表現がございます。
「おーい早くしろ!」
今日も騒音の中、職長の声が場内に響く。
“その”製造ラインへ配属となって1週間が経過したあたり、私は早くも製造現場の過酷さを実感していた。
作業内容は細かに記載することはできないため簡潔にするが、
大きな製品をネイルガン(釘打ち機)を用いて組み付けするという作業である。
これが凄まじかった。
図面を瞬時に判断し、10尺近くある製品をジョイントする。
前屈作業であり、更には重い工具を用いた作業。身体が悲鳴を上げる。
ラインには各工程で作業時間が定められているため、悠長に作業はできない。
生まれてこの方、こんなにも脳と身体を使った作業は初めてだった。
これを1日10時間、あくる日もあくる日も行う・・・
心が1秒も休まらない状況、身体が1秒も停止しない状況。それが毎日10時間。
私はただただ、
産業国日本の根幹を支えている製造業の方々に頭が上がらなくなり、
またこのような業種にこれまで無知であったことを恥じた。
そして、
スーツで工場見学に来る本社の人々、
すぐそこの2階の事務所では、PCの前で座り楽しそうに雑談をしながら仕事をする人々。
嫌でも刻々と目に焼き付くようになった。
「ライン作業者と彼らの“違い”は何なのだろうか・・・」
汗と接着剤にまみれながら、そう考えた。
我々は、同じ国に生まれ、同じ法に守られ、同じ人権を持つ同じ人間という種族のはず・・・
ましてや同じ給与で、なぜここまで業務内容が違うのだ・・・
そして不都合な真実に辿り着く。
「彼らは“大卒”で・・・ライン作業者が“高卒”だから...」
通称、天上界(事務所)で1日中働いている者は皆大卒だった。
そして私のような半ば研修で来ている者を除き、ライン作業者は皆高卒だった。
『蟹工船』という小説を読んだことがある。
そこに記された資本家の搾取と限界まで働かされる労働者の姿は、あくまで100年以上前の日本の負の面であると思っていた。
しかし、そこまでとはいかないが、似たような光景が眼前には広がっていた。
心身常にフル稼働させながら働く人々がいる傍ら、天井を1枚隔てただけの2階フロアには、
“椅子に座りながら仕事をすることが許された人々“
が存在する不条理。
「大学を卒業していなければ、業務中座ることも許されないのか。」
無知な温室育ちが、その時辿り着いた答えだった。
勿論、1週間程度で“答えを知った気”になるのは私の悪い癖で。
当時はとことん無知であり、更には心身が衰弱していたためにこのような偏見とも取れる答えへと安直に辿り着いてしまったということはご理解いただきたい。
その後、素晴らしい人々との交流や現場での経験を経て、世の中とはそんなに単純ではない事を知っていく。(これもまた“知った気”になっているだけだろう。)
その模様や、今なお激烈な思い出として脳裏に焼き付けられている“労災”の経験も、気が向いたら今後書いていきたい。