およそ1年前、労災で指の先端を失った。①
およそ1年前、指の先端を労災で失った。
既に過去の記事で記述をしているため細部は省くが、私は現場研修で工場にいた。
現場は過酷を極めており、1秒も息つく暇もない状況。その中で、“やって”しまった。
「グチャ」
人間など太刀打ちできるはずもない油圧機械の力、指が一本潰された。
指の惨状を見てパニックになったがその中でも己の最大限の平静さを保ち職長へ報告に行く、
興奮状態によるアドレナリンのためなのか、不思議と痛みは少ない。
「指を失ったかもしれません。」
そう伝えると職長は一瞬驚きを見せたものの、凄まじい程の冷静さかつ的確に状況を上に伝え、スムーズに病院へと運んでいただいた。
これほど人間が頼もしいと感じたことはなかったが、それだけケガの対処に“慣れ”ているんだなと思った。
緊急外来に着いた、指に強い痛みを覚え始める。
他の患者もいた、パーテーションで姿こそ見えないものの、痛みを訴えるうめき声は聞こえて来る。
明らかに声だけ聞くと私より重症の方々だった。
自分の痛みより、医療現場の生々しさに震える。
ベッドへ横にしていただき、治療を受ける。
最中、
““最悪の思想””
に心が支配される。
それはーーー
「嬉しい。」
労災の瞬間や治療の最中、自分の感情を支配していたものは痛みでも苦しみでもない。
「嬉しさ」
だった。
このケガにより、しばらくは現場からは逃げられるだろうという、「嬉しさ」。
職場の方々や治療していただける医療関係者の方々、または親族へ与えてしまう多大なる心労・金銭的な負担。
それらを鑑みればこんなことは少しでも思ってはならないことだ。
だが、当時は激務で冷静ではなかった、1秒でも早く逃げ出したいとばかり毎日考えていた。
愚かな短慮は、そのような日々の環境による心労疲弊からもきていたと思う。
何かから逃げ出したいと思った時、
怪我をしたい、病気をしたいなどと考える人は既に異常な精神状態に達しており、早期に休息を取るべきだと今になって思う。
その後の動向は、またいずれ。
大学を卒業していなければ、業務中座ることも許されないのか。③
※一部個人的な主観と、偏見と受け取られかねない表現がございます。
「おーい早くしろ!」
今日も騒音の中、職長の声が場内に響く。
“その”製造ラインへ配属となって1週間が経過したあたり、私は早くも製造現場の過酷さを実感していた。
作業内容は細かに記載することはできないため簡潔にするが、
大きな製品をネイルガン(釘打ち機)を用いて組み付けするという作業である。
これが凄まじかった。
図面を瞬時に判断し、10尺近くある製品をジョイントする。
前屈作業であり、更には重い工具を用いた作業。身体が悲鳴を上げる。
ラインには各工程で作業時間が定められているため、悠長に作業はできない。
生まれてこの方、こんなにも脳と身体を使った作業は初めてだった。
これを1日10時間、あくる日もあくる日も行う・・・
心が1秒も休まらない状況、身体が1秒も停止しない状況。それが毎日10時間。
私はただただ、
産業国日本の根幹を支えている製造業の方々に頭が上がらなくなり、
またこのような業種にこれまで無知であったことを恥じた。
そして、
スーツで工場見学に来る本社の人々、
すぐそこの2階の事務所では、PCの前で座り楽しそうに雑談をしながら仕事をする人々。
嫌でも刻々と目に焼き付くようになった。
「ライン作業者と彼らの“違い”は何なのだろうか・・・」
汗と接着剤にまみれながら、そう考えた。
我々は、同じ国に生まれ、同じ法に守られ、同じ人権を持つ同じ人間という種族のはず・・・
ましてや同じ給与で、なぜここまで業務内容が違うのだ・・・
そして不都合な真実に辿り着く。
「彼らは“大卒”で・・・ライン作業者が“高卒”だから...」
通称、天上界(事務所)で1日中働いている者は皆大卒だった。
そして私のような半ば研修で来ている者を除き、ライン作業者は皆高卒だった。
『蟹工船』という小説を読んだことがある。
そこに記された資本家の搾取と限界まで働かされる労働者の姿は、あくまで100年以上前の日本の負の面であると思っていた。
しかし、そこまでとはいかないが、似たような光景が眼前には広がっていた。
心身常にフル稼働させながら働く人々がいる傍ら、天井を1枚隔てただけの2階フロアには、
“椅子に座りながら仕事をすることが許された人々“
が存在する不条理。
「大学を卒業していなければ、業務中座ることも許されないのか。」
無知な温室育ちが、その時辿り着いた答えだった。
勿論、1週間程度で“答えを知った気”になるのは私の悪い癖で。
当時はとことん無知であり、更には心身が衰弱していたためにこのような偏見とも取れる答えへと安直に辿り着いてしまったということはご理解いただきたい。
その後、素晴らしい人々との交流や現場での経験を経て、世の中とはそんなに単純ではない事を知っていく。(これもまた“知った気”になっているだけだろう。)
その模様や、今なお激烈な思い出として脳裏に焼き付けられている“労災”の経験も、気が向いたら今後書いていきたい。
大学を卒業していなければ、業務中座ることも許されないのか。②
前回の続き。
異動初日、工場の応接間にてこれからの説明を受ける。
部屋には4名。
工場長・工場次長・私。
そして同じく本社から工場異動となった、私の3つ年上の先輩。
「明日よりうちの工場の製造ラインに入ってもらう」
そう言い渡された。期間はおそらく1年程度になるだろうと言われた。
なぜ具体的な期間を定めないのかと不満はあったが、
まあ会社にも事情があるのだろう、と自己解釈した。
1年程度ならば、すぐ経過するだろうと思ったし、もとより異動を承諾済みでの入社。
異動が不満だと会社にとやかく言うことは、ナンセンスなのだ。
さらに前回の記事でも書いたが、メーカー勤務として現場を経験することは、大いに意義がある事だと思っていた。
配属となる製造ラインに案内される。
ガシャン、プシュー..
ガシャン、プシュー..
ゼイゼイ...ハアハア...
――その新しい職場を一目見て、
先刻まで綺麗な応接室で抱いていた“大儀”は、所詮は口先で、
本社という温室で抱くただの現場を知らない者の“理屈”に過ぎなかったということを思い知らされた。
「俺は、明日からここで働くのか―――」
身体に思わず引きつったのを覚えている。
大学を卒業していなければ、業務中座ることも許されないのか。①
私は大学を卒業後、とあるメーカーの設計職に就いていた。
しかし入社半年後、異動が言い渡される。
「10月から研修の一環として、○○工場に異動してくれ。」
異動は嫌だったが、異動理由については納得がいく。
メーカー勤務として、設計職の身として、製造現場を知ることは重要である。
むしろ商品知識を得るためにはもってこいの環境であるとも思う。
私は、製造現場経験は今後この会社で勤めていくためのいい経験になるかなと思い、承諾した。
その後、様々な試練が待っているとも知らずに。
無職になった、ブログを始めた。
24歳の今冬、会社を退職した。
皆は、「次の就職先を決めずに退職するなんて・・・」と口を揃えて言うが、気にしない。(その理由も今後書きたい)
今は何事にも追われずに、自己満足でただただ日記を書くことができて嬉しい。
転職活動ついでに、続けていきたい。(恥ずかしくなったら消すが)